Merry-go-round

作:柏木むし子

 朽ちた木馬が視界を横切ってゆく。かつては煌びやかであっただろう装飾が剥げ落ち、つぶらな眼の輝きも消え失せたものが、次々と。続く馬車もすっかり腐食していた。

 金属製の床板は鈍重に動き続け、錆びた部品が擦れる不快な音をたてながら、乗客のいない木馬を走らせ続けている。男はその外側で尻餅をつき、回転木馬を囲む柵に背を預けて、ただ正面を見つめていた。

 若い男だった。整った顔立ちと上等な身なりを備えた、どこか自信に満ちた佇まいの男。しかしそんな様子を見せていたのは既に過去のことであり、今はただ血と泥で汚れたぼろを纏うばかり。瞳は淀み、汚れた口からは力のない呪詛が洩れる。唇は黒ずみ、頬は血の気の失せた蒼白い色となっている。

 ちくしょう、何なんだ、私が何をしたというんだ……ひゅうひゅうと喉を鳴らしながら紡がれる言葉に、泥をかき回すような音が重なった。出所は破られたシャツの下、腹にあいた大きな傷。絶命していないのが不思議なほど大きな、乱雑に切り開かれた醜い傷跡が、粘ついた音をたてながらその口を狭めてゆく。切り裂かれた皮膚と、抉り取られた臓物が、切断面から生じた新しい組織によって再び形作られようとしていた。

 投げ出された脚もまた脛から先がなく、ただの人間なら持ち得るはずのない再生力が、欠けた部分を修復しようとしている最中だった。体内から押し出されているかのように骨がするりと育ち、それを追って筋肉と皮膚が伸びてゆく。完全に修復されるまで、そう長くはかからないだろうと思った。生きた時計も太陽の動きもないこの場所では時間など計れやしないが、今までに受けてきた仕打ちの中ではまだ手ぬるいほうだと感じたゆえに。

 しかし何度味わえども、身を切り裂かれる痛みに慣れることなどできない。男は錆びついた柵に体重を預けたまま、極力動かぬようにただ痛みが過ぎ去るのを待っていた。

 弱りきった目に映るのは、乗せる子供もいないままに回り続ける回転木馬。客を失いながらもまだ動き続けるその機械は、時折思い出したようにスピーカーから音楽を響かせた。元は楽しげなメロディだったであろう曲は劣化を極めており、音飛びと調子外れがひどい。ノイズに侵食された不気味なBGMは、目の前の光景の無情さをいっそう際立たせていた。

 木馬たちは回り続けている。その足元に切り落とされた男の脚を携えて。曳く馬車に抉り出された男のはらわたを乗せて。

 この廃遊園地の空模様はいつまで経っても変わらない。

 霧が深く、雲も厚く、太陽が顔を出すための切れ目を生じさせることがない。隠された陽は動いている気配がなく、暮れることのないままどんよりと影を落としつづけていた。淀んだ空気は錆のにおいがする。

 永遠の曇天の下、男は遊具の陰に潜みながらあてどなく歩き続けた。どこに向かえば良いのかもわからないまま、手探りで、恐る恐る。

 朽ち果てた遊園地は静まり返っており、人はおろか鳥や虫の気配すらなかった。放棄されてから伸び放題になったのであろう草木もすべて枯れ果てている。いずれは自分もその仲間入りをするのだろうか。できるのだろうか。

 男の服はべっとりと血が滲み、袖やシャツの腹部が切り取られてなくなっている。しかし剥き出しになった腹には傷や不自然な凹みがなく、両足はしっかりと地面を踏み締めていた。どちらも再生してしまったのだ。靴はかつての自分の足から奪った。二対になってしまった足の、もう使えないほうはその場に投げ捨ててきた。

 この場所に投げ出されるまでの経緯について想いを馳せる。……が、浮かぶものは何一つとしてない。いつの間にか廃遊園地の道端に転がっていたのだ。どうやってここに来たのかはおろか、自分が何物なのかすら思い出せなかった。わかるのはただ二つだけ、ここがかつては娯楽施設であっただろうということと、自分が高貴な者であるということ。こんな場所で屈辱を味わっていて良いはずのない存在であるという確信があった。服装以外の根拠はないが、とにかくそう感じた。

 そう、こんなことがあっていいはずがないのだ。この私が怯えながらただ逃げ惑うだなんて。

 高所に設置されている遊具の土台を半周し、辺りに異変がないことを確かめてから、他の遊具のそばへと早足で移動した。悠長に道の真ん中を歩いていてはまたすぐに見つかってしまいそうで。塀や建物など、身を隠せそうなものは何でも使いながら男はひた進んだ。少し移動するごとに歩みを止め、他の足音が聞こえて来ないかを確かめながら。

 便所だったらしい小屋の壁に背を預けて耳を澄ますと、舗装を踏む音が遠く聞こえた。背中にぞわりと寒気が走る。震え出した片手をもう片方の手で押さえながら、息を殺して相手の動きを伺った。足音の主はすぐ近くの道を歩んでいるようで、徐々にこちらへと近づいてくる。

 今すぐに隠れる場所を探すべきか。それとも物音を立てぬようこのまま潜んでいるべきか。少しの逡巡の末、男はその場で静かに待つことを選んだ。

 早まる鼓動が呼吸を荒らげさせようとするが、深く息を吸ってどうにか堪える。静かに吐き出した息は奴の耳から上手く逃れることができるだろうか。もしも見つかってしまったとしたらまた、あのような――

 そのとき、視界に入り込んだ小さな黒が思考を停止させた。ひゅう、と微かに喉を鳴らしてしまったが、その弱みが聞き取られることはなかった。

 便所にほど近い道を、大柄な黒尽くめの男が歩いてゆく。息を潜めたものを匿うように形を残していた看板と、その隣の建物の間に、一瞬だけその姿を認めることができた。幸い相手はこちらの存在には気づかなかったようで、漆黒のコートが翻されることはなかった。

 足音は徐々に遠ざかってゆく。悠然と歩むその姿は、体こそ人の形をしていたが、首から上が存在していない。

 目も鼻も耳もない姿は、触感以外の感覚を持てないように思える。しかし奴らは確かにこちらを見て、聞いて、迷いなく襲い掛かってくるのだ。何も語らず、そうプログラムされたゴーレムか何かのように。

 男は足音が聞こえなくなってもなお、大事を取ってしばらくその場に留まり続けた。立ち尽くしたままできることは、警戒と思索。そこで男は一つの疑問を抱いた。

 あの化物”たち”――男は自らのうちで奴らを処刑人と呼んでいる――はゴーレムに似ていると思ったが、自分はいったいどこでそんな知識を得たのだろう。ゴーレム、魔術、術式……一つの言葉をきっかけにいくつかの記憶の断片を拾うことができたが、それ以上思い出せることはなかった。

 停滞した思考を揺り動かすべく頭を振り、歩み出す。ここでじっとしていても埒が明かない。待っても誰も助けに来ないだろうと男は思っていた。誰かが自分のために動いてくれる、誰かが助けだしてくれる、などという予感を全く感じ取ることができないのだ。全ては自らの手で得なければならない。内なる自分に言い聞かされながら、男はどこまでも続く遊園地をまた歩き始めた。

 その瞬間、だん、と何か硬質のものを叩く音がした。

「ひっ……」

 情けない声をあげ、音がした方向を見やる。便所の屋根の上だ。襲撃者はどうやらもっと高い場所から飛び降りて来たらしい。先ほど通り過ぎていった者とは違う、白い服に身を包んだ化物だった。初めて遭遇したときには真っ白だったコートは、何度も迷い人を手に掛けた際の返り血でべったりと汚れている。

 それは頭があるべき場所で確かにこちらを見ていた。ように思えた。白の処刑人は勢い良く屋根から飛び降りると、目を見開いたまま後ずさる男の目の前に降り立った。

「やめ、ろ」

 口をついて出るのは力ない懇願。無駄だとわかっていてもせずにはいられないこと。

「やめてくれ」

 もう十分だろう。何が目的なんだ。そんな言葉が続くはずだったが、問いは処刑人が突き出した刃に遮られてしまった。服の下、コートの袖と手の間から飛び出した剣のような刃物が、男の喉へと突き立てられる。切っ先が首を貫通することはなかった。骨を抉ったところで止まったようだ。

「ぎっ……」

 悲鳴まで切り捨てられた男は、目を見開き体を強張らせてその場に立ち尽くすしかなかった。喉が詰まるほど針を呑み込んだかのような、理不尽な鋭い痛みが思考を焼いてゆく。熱い傷口にねじ込まれた刃物は氷のように冷たい。

 目の前の処刑人に頭がついていたとしたら、さぞかし楽しそうな顔をしていることだろうと、いやに冴えた思考が告げていた。この廃遊園地では確認できただけでも二人の処刑人が徘徊しており、彼らは男を見つけ次第襲い掛かってくる。そして対象が動かなくなるまで切り刻み、またどこかへ去ってゆく。

 特に趣味が悪く、やり口が陰惨なのがこの白の処刑人だった。彼が突きつけたものを音もなく横へ滑らせると、刃は頸動脈をやすやすと切り裂いた。ぷつん、と何かが千切れてしまう音が聞こえた気がして、男はその場に膝をついた。鮮やかな血が噴水のように溢れ出すが、男が血溜まりに沈むことはない。力を失った体が倒れる前に、処刑人が今にも千切れそうな首を掴んで獲物を引きずっていった。

 空を覆い尽くした雲は全く動かない。望んでもいないのにそれをずっと観察する羽目になった男は、上空にも風がないのだろうとぼんやりと考えていた。

 枯れ草の上に転がった男の体は、上半身しか存在していない。臍から下、剥き出しになった体の断面で、再生しつつある臓物がびくびくと脈打ち蠢いていた。

 倒れこんでいる男を、すぐ傍の巨大な看板が見下ろしている。元は的当てのゲームのためだったと思しきそれは、すっかり色の剥げた表面を、まだ新しい血で飾られていた。その下には一対の腕と脚、そして生命活動の一切を忘れた胴体が打ち捨てられている。

「くそ……死ね……死ね……っ!」

 呪詛は誰にも届かず、ただ自らの中にどろりと溜まりゆくのみ。

 獲物をここまで引きずった処刑人は、あろうことか男の四肢を一本ずつ切り落とし、的当ての遊具に投げつけて遊びはじめたのだった。はじめに左脚を、続いて左腕を、右腕を、右脚を。無残にも切り離された四肢は、処刑人の怪力によって勢い良く投げ飛ばされ、色あせた板に次々と血の跡を残した。その次におもちゃにされたのが、首を切り落とした胴体。しかしこれは重みのせいか看板まで飛ばず、最後に腹いせのように頭を投げつけて去っていった。

 悪夢、もしくは地獄としか言いようのない仕打ちだった。首を落とされた場合に頭から胴体が生えてくるだなんて知りたくもなかった。

「殺してやる」

 ぽつり、ぽつり、とこぼす言葉は自らを支える杖だ。地に突き立てておかなければ心が倒れてしまう。

「殺してやる……殺して……死にたい……」

 しかし心が既に折れかけているのもまた事実で。

 この遊園地の出口は本当に存在するのだろうか。辛うじて読める案内図は園のあちらこちらに存在しているものの、実際のつくりはそれと異なっていてあてにならない。

 目覚めた場所からだいぶ遠ざかったが、出口とは正反対の方向に進んでしまったのではないだろうか。何の気なしに選んでしまった道がそもそもの誤りで、そのためにここをずっとさまよい続けることになってしまったのではないか。

 そもそもこんなところで惨めに生にしがみつき続けることが間違いではないのか。いっそ再生する余地もない方法で自らにとどめを刺してしまったほうが楽かもしれない。例えば頭を破壊するだとか……

 自らを殺しつくす方法について考え始めたところで、コースターのレールがすぐ近くに敷かれていることに気がついた。急降下のスリルを演出するためか、レールは非常に高い場所まで伸びている。あの高さから飛び降りて頭をかち割り、脳みそをぶちまければさすがに再生しなくなるかもしれない。頭から体が生えてしまうのなら、その頭を壊してしまえば。

 救いと呼ぶにはあまりに悲しい結末を求め、男はふらりと立ち上がった。かつて自分だったパーツから下穿きとズボンと靴を奪い、歩き出した。

 古びた金属製のレールは、空へと伸びる梯子のように見えた。

 かつてコースターが食いついていたであろう平行線を掴み、慎重に足場を踏みしめてゆく。元々のつくりが良かったのか、足場が体重に耐え兼ねて落ちることはなかった。

 見下ろす地面は遠く、最も高いところまで登らなくとも目的は果たせそうだった。が、男はレールを登り続ける。どうせやるならもっと確実なほうがいい、と自らに言い聞かせながら。しかしその考えが逃げの一手であることも自覚していた。

 処刑人たちに切り刻まれるだけの、苦しく惨めな生から逃げ出したい。しかし本物の死を自ら迎えに行くこともまた恐ろしかった。今までのかりそめの死とは違い、己の足でここから飛び出さなければならない。そして頭をかち割ることができなければ――あるいは、上手く脳みそをぶちまけることができたとしても――死ねないかもしれない。不安が手のひらとレールを噛みあわせてしまい、思い切って手を離すことができずにいた。

 廃遊園地にかかった霧は、高所から出口を探すことを許さない。それらしいものを視認できたのなら、自殺だなんて惨めな真似を取りやめて降りてもよかったが、希望は全て霧によって隠されている。

 もう少し、もう少しだけ登ったら。などと考えているうちに、レールが作る坂の頂上が間近に迫っていた。コースターの急降下を楽しむために作られたであろう場所が、本来の相棒ではない哀れな男の到着を待っている。錆びた足場の上で、男を歓迎するように何かが煌めいた。

 レールが光を反射したのかと思ったが、陽が射さないこの地獄ではありえないものだとすぐに気がついた。自ら光を放つ何かが設置されているのだろうか。何故か動力が生きていた回転木馬の例もあるのだから、まだ機能し続けているライトがあってもおかしくはない。しかし近づいてみると、光を放つ何かが鏡でも照明でもないことがわかった。

 光の玉が浮かんでいる。そう表現するしかなかった。手のひらに収まりそうな程度の球体が、柔らかく輝きながらレールの少し上に浮いているのだ。よく観察し、すぐ下に手を差し込んでみても、見えない台座やケーブルに触れることはなかった。

「何だ、これは」

 思ったままの気持ちを口からこぼしながら、男は球体に更に手を近づけた。熱はない。正体を確かめるべく、指先で恐る恐るつついてみると、光は突然まばゆく弾けた。

「づっ!?」

 とっさに瞑った目の奥のそのまた奥、男の意識へと何かが割り込んでくる。何かは記憶の蓋をこじ開け、封じ込められていたものの断片を引きずりだした。

 どこか、ここではない場所で、男は部屋を埋め尽くさんばかりの本に囲まれていた。薄暗い陰気な書斎で魔術書をめくる手は皺だらけだ。だというのに、なぜだかそれが自分のものであることがすぐにわかった。

 瞬きをすると、場面が移り変わる。散らばっていた書物は整頓され、部屋に並ぶ棚が増えていた。硝子戸の中には大きな瓶が並んでいる。人間の脳と眼球を薬液に漬けたものだ。相も変わらず書に耽溺する男の手は、若者らしい瑞々しさを取り戻していた。

 我に返り、手のひらを見る。レールを掴んでひどく汚れた手が、白昼夢から覚めたことを教えてくれた。光の球は消え去っていた。

「……私、は」

 暴れる鼓動を落ち着かせるために深呼吸をする。高所に来てなお香り続ける錆の匂いを胸いっぱいに吸ってから、頭に流し込まれた情報を改めた。

 男はかつて魔術士だった。禁忌とされた呪法に手を染め、永遠の若さと強大な力を手に入れた者。それ以上はまだ思い出せないが、この場には似つかわしくない存在であることを自覚するには十分な情報だった。この夢と鉄の墓場は、何の力も持たぬ者をもてなす施設の名残だ。

 二度と再生できぬよう壊れてしまいたい、という望みは一瞬で消え去ってしまった。次にやらなければならないことが生じたゆえに。持っていたはずの力がその身にないということは、それを失っている、あるいは奪われているはずだ。取り戻せるのかどうかはわからないが、その事実を思い出せただけでも大きな進展だった。見失ったものは何としてでも見つけ出さなければならない。

 先ほど取り込んだ光は、その残滓か何かだったのだろう。他にも廃遊園地内に落ちているものがあるかもしれない。そう仮定すると、悪夢の逃避行がスリリングな宝探しへと変わった。目的を果たすまでに何度身を切り刻まれるかはわからないが、たださまようばかりだった先ほどまでとは心持ちがまるで違う。

 そうと決まればやることはただ一つ。男はしっかりとレールを掴み、先へ先へと進みだした。これが宝探しならば、いかにも宝らしい場所に目当てのものが隠されているかもしれない。コースターのレールの上、という珍しい場所に二つ三つ設置されていてもおかしくはない。

 急降下の先へと降りるべく、男は体の向きをくるりと変えた。梯子を降りる要領で先へ進もうとしたとき、不審な物音が迫っていることに気づいてしまう。

 それはレールにへばりついた足場を踏む音だった。小刻みかつ軽快に鳴らされる、死神の足音。黒の処刑人は這いつくばるような姿勢をとらず、地を駆けているかのように俊敏にレールを上ってくる。

 ひゅっ、と男の喉が勝手に音をたてる。逃走は叶わず、助走を伴って繰り出された蹴りによって、男の体が宙に浮いた。

 結局、頭が潰れようとそのまま死ねることはなかった。

 記憶の欠片を集めると決めたのはどれくらい前だったろうか。眠気も空腹も感じないこの空間では、数日と数十日の区別が付かない。もう何年もこの地をさまよってしまったのかもしれないし、たった一日の悪夢だったのかもしれない。

 思い出すことはできないが、既にどうでも良いことだと思った。全てはもうすぐ終わろうとしているのだ。

 男はここに訪れた時と同じ、肌触りの良い上等な服を纏っていた。集めた記憶と共に取り戻した力で生成したものだ。水を作り出して身体を清めることも、忌々しい記憶の残る回転木馬を瓦礫に変えることも、今の男にとっては造作も無いこと。

 男は魔術士だった。幾多の同業者を襲い、知識と力を奪い続けた魔術士喰いの魔術士。その力を取り戻した今となっては、この牢獄を抜け出すことなど造作もない。

 にやつく男の足元には、かつて彼を追いかけ回した二人の処刑人の残骸が転がっていた。手足を少しもいでやっただけでは止まらなかったため、歯向かえなくなるまで細切れにしてやったのだった。苦悶の叫びをあげて許しを乞うのなら、もっと時間をかけて遊んでやっても良いと考えたが、生憎この殺戮機械は言葉も表情も持たない。ゆえに今までの鬱憤を込めて切り刻むだけに終わってしまった。

 ばらばらの肉塊は既に再生を始めている。放っておけば、それを解体した男と同じように、元の形を取り戻し再び襲い掛かって来るだろう。その前にするべきことを済ませてしまうことにした。

 念動力によって二人の血を宙に集めながら、心に吹き込む空虚さに思いを馳せた。物足りない。もっと苦しんでくれる者を相手に楽しみたい。

 ひとまず廃遊園地を脱した後、仕組みを解析してこの空間を掌握しよう。そして獲物を投げ込み、観察して遊ぼう。想像するだけで顔が綻んでしまう。処刑人たちの執拗さは、自らの心を映す鏡だったのではないかと思えた。己の本心を思い出した今、魔術士喰いは再び生まれ落ちたのだ。

 抜き取った血で地面に陣を描き、然るべき術を展開する。空間を切り裂き、その向こうへと歩き出す。胸を張り、広がる暗闇に足を踏み入れて――

 ――地を踏みしめるはずだった足が、消失した。

 痛みはなかった。男の太腿より下は元より失われていて、それを”思い出した”だけなのだから。

 失ったものは脚だけではない。両腕は付け根のそばで切断されており、手で辺りを探ることができない。身をよじると何か硬いものがぶつかる音がした。切断面が金属か何かで覆われており、再生を妨げられている。

 しかしその詳細を確認することは叶わなかった。視線によって呪いをかけることを封じるため、眼球を抉り取られて、更に瞼を縫い付けられているのだから。男の世界は底なしの闇に閉ざされていた。

 身をよじると、首輪に繋がれているらしい鎖がざらりと音を立てる。着衣のない体に冷たい空気が纏わりつき、肌の温度を好き勝手に奪っていった。薬草か何かを炙ったような香りが鼻につくが、それが体を温めてくれることはない。

 自分は全てを取り戻したはずではなかったのか。混濁する記憶を揺り起こすように、誰かを呼ぶように、すぐ近くでベルが鳴り続けている。程なくしてドアを開閉する音が聞こえたかと思うと、近づいてきた何者かがベルの音を止めた。

「九日と少しか、最速記録じゃないか」

 大人と思しき男性の声だった。やや低く、ゆったりとした色気のある、忌々しい声。感心したような物言いは混線した男の記憶をほぐし、残酷な事実を突きつける。

「能力の解放があるものは難易度が低すぎるようだな。次は記憶だけを拾えるものを見繕うか」

 声の主が何かをまさぐる音がする。男が絞り出そうとした言葉は声にならなかった。声帯が取り除かれた喉では抗議の叫びさえあげられない。ただ唇を震わせながら、恐怖を帯びた息を吐くことしかできなかった。

 この状況は初めてではない。五感を伴った悪夢から覚めるたびに、悪夢の中では取り戻せなかった最後の記憶を思い出し戦慄する。これを何度繰り返しただろう。哀れな男はそのたびに絶望の淵へと叩き落され、死による解放を願った。

 魔術士喰いと呼ばれた男は、獲物として狙いを定めた者に敗北し、全てを奪われたのだ。

 その哀れな結末がこれだ。手足も眼も喉も、再生能力も失い、敵の工房に縛り付けられて悪夢を見せられ続けている。聞き終えたレコードを取り換えるような調子で、続けざまに、実に様々なものを。

「これなどはどうだ? 人のはらわたに入り込む虫で埋め尽くされた都市だ」

 冗談じゃない、と言い返すことすらできない。男は冷たい飼育箱の中でただ怯えるのみの存在に成り下がっていた。

「こいつも捨てがたいな……性欲を持て余した巨人のおもちゃだそうだ」

 残虐な飼い主は何かを弄りながら喋り続ける。目を潰された男に言い聞かせるように、どこまでも楽しげに。かたん、ことん、きぃ……と音を立てて選んでいるのは、悪夢を見せる装置に差し込むためのカートリッジだと言っていた。一つ一つに異なる舞台が詰まっており、悪夢を終わらせるための条件がそれぞれ設定されているのだと。

 廃遊園地からの解放と同時に押し寄せた、今までの悪夢の記憶が精神をずたずたに引き裂いてゆく。

 無限の砂漠。皮剥ぎ奴隷。串刺し道化師。腐り肉洞。骨吸い蛭。汚汁の海。悪趣味極まった拷問の舞台で、男は孤独に虐げられ続けた。時には悪夢の中で親しい者を捏造され、それを惨たらしく壊されることもあった。

 なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか、男はそれをよく知っていた。魔力を搾り取られているのだ。苦痛や絶望を引き金として抽出した力は、研究や戦闘の良い助けとなるだろう。かつて男が他の魔術士たちから魔力を奪ったときのように。

 しかし彼が今まで手にかけてきた魔術士は膨大な数に上る。それら全てを食い尽くして得た力は無尽蔵に近い。つまり、力を吸われつくして死ぬ日はいつまで経っても――

「おやすみ、良い夢を」

 囁かれる言葉は最悪の呪詛。嫌だ、眠りたくない、と唇が訴えるが、聞き入れられることはない。ぶぅん、と機器が稼働する音が、男の意識を悪夢の底へと引きずり込んでいった。

 地下の一室に設置した魔力炉――見た目はただの檻に近い――は問題なく稼働している。その持ち主は炉の燃料である男を見下ろしていたが、すぐに興味を失い踵を返した。

 手にしていた箱を本棚に戻し、部屋を後にする。小さな板状のカートリッジが入っていたものだ。部屋の隅に設置されている回転式の本棚には、炉の燃料に新鮮な苦痛を与えるためのカートリッジが隙間なく並んでいた。

 低く鳴り続ける炉の稼働音に、きぃ、と金具が擦れる音が重なる。絶望をぎっしりと抱えた本棚が、回転木馬のようにゆったりと回り、止まった。


back 不殺遊戯Vol1

投稿者: 綾瀬翔

Webと創作と美味しいものが好き。